僧帽弁閉鎖不全症(Mitral Regurgitation: MR)とは

心臓は全身に血液を送り出すポンプの働きをしており、4つの部屋に分かれています。部屋と部屋の間には、逆流が生じないように弁と呼ばれる扉があります。このうち、肺で酸素を取り込んだ血液が戻ってくる左心房と、全身に血液を送るポンプの役割をしている左心室との間にある弁を僧帽弁と呼びます。僧帽弁閉鎖不全症とは、この僧帽弁が様々な原因でしっかり閉じ切らずに、左心室から左心房へ血液が逆流してしまう病気です(図1)。これにより心臓に負担がかかり、息切れやむくみ、疲労感などの症状の原因になります。一般的には心臓の負担を抑えるお薬での治療がまず開始されますが、逆流の程度が進行して重症の僧帽弁閉鎖不全症となると、僧帽弁自体の治療が考慮されます。

図1:僧帽弁閉鎖不全症について
(提供:アボットメディカルジャパン合同会社)

僧帽弁閉鎖不全症の治療

僧帽弁自体に対する治療としては大きく分けて外科手術とカテーテルによる治療があります。外科手術には僧帽弁を人工弁に取り替える僧帽弁置換術と、患者さん自身の元々の弁をうまく切ったり、縫い合わせたりして形を整える僧帽弁形成術があります。

一方、年齢や併存疾患のために外科手術のリスクが高い患者さんに対して、MitraClipを用いたカテーテルによる治療が2018年4月から本邦で開始されています。

経皮的僧帽弁接合不全修復術とは?

経皮的僧帽弁接合不全修復術はMitraClipを用いたカテーテル治療であり、ヨーロッパで2003年に1例目が行われてから、ヨーロッパ、北米を中心に、すでに6万人以上の患者さんに行われています。本邦でも2015年から2016年に治験が行われ、良好な成績が得られたため、2018年4月に保険償還となり、治療が可能になりました。当院は治験施設としていち早くMitraClipを用いた治療を開始しており、良好な成績を収めています。

僧帽弁は2つの葉(弁尖)からなる弁ですが、MitraClipでは両方の弁尖を同時にクリップでつまんで、僧帽弁の逆流を少なくするカテーテルでの治療です。実際の治療においては心臓超音波装置を食道に挿入し、心臓超音波画像を参考にしながらカテーテルの操作を行う必要があるため、全身麻酔下での治療となります。まず、足の付け根の静脈から、全身から血液が戻ってくる右心房という部屋までガイドワイヤーを挿入します(図2 ①)。右心房と左心房の間は壁で隔てられていますが、この壁を右心房から左心房に針を刺して穴を開けます(図2 ②)。その穴を通して、先端にクリップがついたデリバリーカテーテルを左心房から僧帽弁に挿入していきます(図2 ③、④)。超音波の画像をみながら2つの弁尖をクリップの中に収納した所でクリップを閉じ(図2 ⑤)、逆流が減っていることを確認できたところでクリップを留置します(図2 ⑥)。逆流が十分に減っていない場合には、クリップを違う場所に留置することや追加のクリップを留置することができます。手技にかかる時間は平均2~3時間くらいです。

図2:MitraClipの手技手順
(①→②→③→④→⑤→⑥の順でクリップを留置)
(提供:アボットメディカルジャパン合同会社)

実際にこの治療の効果を検討した研究で心不全の再入院及び死亡率を低下させたという報告も得られております(図3)。

図3:COAPT試験の結果
(死亡と心不全再入院の危険度を低下させた)
(提供:アボットメディカルジャパン合同会社)

さらに2020年9月1日から新しい経皮的僧帽弁接合不全修復術のデバイスであるMitraClip G4の使用が開始されました。
新デバイスは従来のものよりも操作性が向上しただけではなく、図4の様にクリップの幅と長さの異なる4つのサイズバリエーションを揃えられていることが特徴です。患者さん一人一人に適したクリップを選択することによって、以前にも増してオーダーメイド治療を提供することができ、よりよい効果が得られることが期待されます。

図4:MitraClip G4の4つのサイズバリエーション
(提供:アボットメディカルジャパン合同会社)

当院でMitraClipによる治療を施行した症例の紹介

71歳男性の患者さんです。2004年に拡張型心筋症と診断され、2013年以降心不全入院を繰り返していました。重症の僧帽弁閉鎖不全症も指摘され、薬物治療だけでは病状安定せず、2017年に両心室ペーシング機能付き植込み型除細動器を移植されるも、なお心不全入院を繰り返しており、2018年5月に当院へ紹介となりました。

当院のハートチームで、重症の僧帽弁閉鎖不全症が繰り返す心不全の大きな要因となっていると判断し、同年6月にMitraClipによる治療を施行しました。術後の心エコーで逆流が軽度まで改善し、術前に自覚していた息切れも消失しました。半年後の外来検査及び診察時も、逆流の増悪や症状の出現もなく、ウォーキングまでできるレベルまで改善していました。「MitraClipの治療を受けてよかった」と、患者さん自身非常に喜んでおられました。

治療の流れ

  • 初診外来

    ・かかりつけの病院・クリニックから慶應義塾大学病院へご紹介いただいてください。僧帽弁閉鎖不全症については月曜日午前の林田医師の弁膜症外来にて診察いたします。

    ・ 医療機関からの診療予約については「患者さんの紹介について(医療機関のみなさまへ)」をご参照ください。患者さん自身が診療予約をされる場合は「診療のご予約の流れ」をご参照ください。

    ・ 遠方からの受診希望の方は、初診外来を省いて直接、検査入院いただくことも可能なケースがありますので「遠方より受診希望の患者さんへ」をご確認ください。

  • 術前検査

    ・ 僧帽弁閉鎖不全症の詳しい病態を把握するため、経食道心エコー検査を行います(原則として、外来で検査を行っています)。経食道心エコー検査は胃カメラと同様に、左を下にして横向きに寝た状態で挿入し検査いたします。当院では鎮静薬を用いて検査を行っています。

    ・ 経食道心エコー検査の結果、MitraClipが施行可能と判断された場合に、次のステップとして術前検査入院をしていただきます。術前検査入院では、実際の治療をするにあたり必要な全身検査や、心臓のお薬の調整を行います。

  • ハートチームカンファレンス

    慶應ハートチームの医師たちが治療方針に関して話し合います。検査結果を踏まえてご本人の状態、病状およびご希望も加味して上で、循環器内科・心臓血管外科・麻酔科の各専門領域の知見を総動員し、患者さん一人一人の最善の治療方法を検討していきます。

  • 入院

    治療の数日前に入院となります。入院の準備・注意点などについては慶應義塾大学病院慶應義塾大学病院「入院される患者さん・面会の方」をご参照ください。

  • 手術施行

    ハイブリッド手術室に入室していただき、全身麻酔下でのMitraClipを行います。ハートチームのメンバーで治療に当たり、治療が終わりましたら集中治療室に帰室となります。

    実際の手術中の様子
    カテーテルチーム・エコーチーム・麻酔科医師が連携して治療にあたっております。

  • 手術施行後・リハビリ

    ・心臓に関するお薬の調整を行います。
    ・一般病棟に戻ってから、1日でも早くお元気に退院できるようにリハビリを行います。理学療法士・看護師を中心とした親身なケアを行います。

  • 退院

    治療の経過が順調で、リハビリにより問題なく日常生活を送れるようになりましたら、退院となります。概ね術後1週間程度で退院となる方が多いです。

  • 退院後の生活

    ・塩分・水分制限を守り、処方されたお薬の飲み忘れのないようにご注意ください。
    ・定期的に外来通院があります。地域病院と連携しながら治療後もしっかりと医療をお受けいただくことができます。



慶應義塾大学病院の強み

  • 国内の治験段階から参画

    当院ハートチームの林田健太郎医師をはじめ、国内で保険償還される前の治験の段階から、MitraClipの治療の経験を積んでおりました。豊富な知識・経験を有するハートチームで、患者さんの最善の治療を安全に行うよう努めております。

  • 総合病院の安心感

    当院ではMitraClipの治療に直接関わる診療科以外にも様々な診療科のスタッフが在籍しております。他のご病気を抱えている患者さんでも、臨機応変な対応を迅速にさせていただくことができます。

  • 全国からのアクセスに便利な立地

    当院は東京・山手線内のほぼ中央に位置し、日本国内どこからでも比較的アクセスしやすい立地です。遠方からの受け入れも積極的に対応させていただきますので、詳しくは「遠方より受診希望の患者さんへ」をご参照ください。

  • 地域病院との連携

    首都圏のみでなく、関東全域やさらに遠方の地域病院とも密に連携をとっております。垣根の低いスムーズな連携を行うことで、より患者さんに寄り添った医療をご提供できるようにしています。

慶應ハートチーム

TAVIと同様にMitraClipにおいても、カテーテル治療専門医、心臓外科専門医、イメージング専門医、心臓麻酔専門医やその他コメディカルからなる「ハートチーム」の形成が必要不可欠です。当院でもハートチーム体制を整えて、万全な体制で治療を行っております。

  • 循環器内科 特任准教授心臓カテーテル室長林田 健太郎

    MitraClipは僧帽弁閉鎖不全症に対する新しい低侵襲なカテーテル治療で、これまで治療が困難であった患者さんに対する重要な治療オプションであり、2018年に本邦でも治療が開始されました。
    当院は2015年の治験よりこの治療の導入に貢献し、林田医師はこの日本における治験の代表(治験調整医師)を務め、主導的な役割を担っています。
    これまで多くの患者さんを治療し良好な成績をおさめていますが、多くの患者さんに「息切れが楽になった」、「心不全入院をしなくなった」など治療の効果を実感していただいております。また紹介医の先生方からも心不全管理、薬の調整がしやすくなり全身状態が改善したなどのご意見をいただいてきました。
    当院ではこのような最先端のカテーテル手技に加え、高い外科手術の技量、正確な心機能評価、繊細な心不全管理、患者さんに寄り添った看護などをチームとして提供しております。
    これからもチーム一丸となって患者様や紹介医の先生方に喜んでいただけるような治療を提供してまいります。

  • 心臓血管外科 専任講師山﨑 真敬

    僧帽弁閉鎖不全症の多くの患者さんにとって外科的手術が根本的な治療ですが、心臓の収縮力が低下していたり高齢ですと手術が危険と判断される場合もあります。そのような患者さんにとって低侵襲ながら心不全症状を軽減する事が出来る可能性があるMitraClipは、高齢化が進む我が国にとって、もう一つのオプションとして検討すべき治療だと思います。ただし患者様の希望だけではMitraClipを行うことは出来ませんので、それぞれの患者様にとって最良となる治療方針を我々のハートチームでご提示いたします。是非安心して当院での治療をお受けください。

  • 臨床検査科 学部内講師 心機能室主任鶴田 ひかる

      

    心エコーによる術前の治療適応診断、術中診断を務めております。低侵襲治療の術中エコーは、術者と協力しながら、安全な治療手技と最大限の治療効果を引き出せるようサポートすることが重要な役目であると考え、日々研鑽に努めております。
    患者さんの主治医である先生方と大きなハートチームとして、治療方針を一緒に考えさせていただき、無事に治療を受けられ、また外来に元気に心エコー検査を受けに来てくださる患者さんの姿を拝見できることは、何よりも大きな喜びであると感じております。

  • 循環器内科 病棟チーフ白石 泰之

    心不全治療は、薬物治療と運動療法を軸に、心臓再同期療法などのデバイス治療、心房細動や心室性不整脈に対するカテーテルアブレーション治療、PCI・TAVI・MitraClipなどのカテーテルを用いた低侵襲治療、および従来の開心術など選択肢は多岐に渡ります。当院はこれらの治療に精通したエキスパートを揃え、最高水準の総合的な心不全治療を提供することが可能です。
    経験豊富な内科医、外科医、他専門医、看護師、理学療法士、薬剤師、栄養士、医療ソーシャルワーカーなど、多くの専門職で構成された当院ハートチームは、患者さん、ご家族および紹介医の先生方の意向を尊重して、それぞれの患者さんに適した、最先端のTailor-made(テイラーメード)心不全治療を提供することをお約束いたします。

Q&A

  • 入院期間はどのくらいですか?

    順調に経過した場合は術後1週間以内に退院されることが多いです。ただし、患者さんによっては心不全の管理や薬物調整のために入院期間の延長が必要になることもあります。

  • 転院してそのままMitraClip治療を行っていただけるのでしょうか?

    全身状態が不安定な場合には転院が難しい場合もありますが、可能な限りご相談にのらせていただきます。まずはかかりつけの先生にご相談いただいた上で、かかりつけの先生より当院までご紹介いただくか、あるいは当院ハートチーム (keioheartteam1021@gmail.com)までご連絡ください。転院後直接MitraClipを検討させていただく場合もありますが、まずはMitraClipに適した僧帽弁の構造をしているかどうかを検査させていただき、治療方針が決まるまで一度ご紹介いただいた病院に再転院をお願いすることもあります。

  • 治療後のMRI検査は可能でしょうか?

    MRI検査は(留置直後から)受けることが可能です。ただし、撮影可能なMRIの条件があります。

  • 留置するクリップの数について

    状況によっては、2つ以上のクリップが必要となる場合もあります。

  • 希望すればMitraClipを受けることができますか?

    患者さんの希望だけでは、MitraClipを行うことはできません。僧帽弁の構造や逆流のメカニズムによっては、MitraClipよりも外科手術が望ましい場合があります。当院のハートチームが患者さんにとって最善の治療を総合的に判断いたします。

お問い合せ

MitraClipの治療に関するお問い合わせは、下記のお問い合わせフォームより受け付けております。
当院ハートチームの医師よりお返事させていただきますので、いつでもお気軽にご相談下さい。

お問い合わせフォーム
慶應義塾大学病院 外来予約センター 03-3353-1257 (午前9時00分~午後4時00分)
MitraClip治療にご興味のある医師の皆様へ

慶應義塾大学病院でのMitraClip治療について紹介医の先生方向けにわかりやすいパンフレットを作成しました。
どうぞご利用くださいませ。

MitraClip紹介パンフレット(準備中)